悪口はすぐさまクリーングオフしましょう

アンチヘイトの潜り抜け方

特に人間をやっていれば、友達でも仕事仲間でも誰かの話題が上がる時もありますよね。特にお話が好きな人であればあるほどにそういった機会は少なくないはず。僕は薄情者なのであまりグループに属することが好きではありません。空気感、雰囲気、関係性をなるべくフラットにしていきたいです。自分は自分、他所は他所という割り切りというものが必要にはなりますね。

悪口というのはコミュニティー形成されるためには必須道具なのかもしれません。話のきっかけ作りによく用いられますが、果たしてその悪口から始まった話題で盛り上がるのはどのぐらいでしょうかね。いづれにしてもそれは何かに転じなくてはいけないサインかもしれません。そのようなお題に対して続けて話すのに残されている感情は妬み、嫉みだけですから。

悪口の要素というのは人に対しての「違い」というものです。他者との違いが可視化されやすい現代だからこそ(日頃の共有手段の多様性)、母数が増えて良いやすい環境下になっていると思います。それが肥大化した例は主にyoutuberのコメント欄でのアンチヘイトですかね。私自身は直接いうことのできないアンチヘイトっていうのに幼少期は四苦八苦していました。メンタルは豆腐並みに脆く、治ることに時間がかかりました。まあ幼少期の環境下で揉まれたおかげで強くなれましたが、不意打ちの如く悪口という名のストレートパンチが来るのはどんな人でも真正面から受け取ってしまうのではないでしょうか。

まあ言う人言わない人と二人間だけかと思うのですが、私は一番嫌なタイプがあります。それは悪口を聞き、第三者に「誰が〇〇って言ってたよ」と言う密告者です。言わなければ、言う側と言われる側が繋がれることが一才ありません。言う人よりも私が一番軽蔑するのはこの「密告者」なのです。私から言わしてみれば自身のキャパシティーを超えることを嫌がり、言われた側に発散することで正義を振る舞う。そう言う人を私は毛嫌いして「偽善者」と呼んでいます。自身のキャパシティを越える以前に自身の意見と異なってしまうのならば、それは物事を捻じ曲げずにストレートな表現で言うべきだと思う。

 

結論的にはアンチヘイトは人との縁をザクザクと切っているので勿体無いことですね。自分は自分で他所は他所と割り切れれば、共生することが多少なりともできるかもしれないのに…

 

 

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